経管栄養で延命を望む家族と意思表示できない利用者

kaigo

 介護施設では人の死というのが割と身近にあり、私個人的には、死別に対する恐怖や悲しみというのはそこまで感じません。急に亡くなる、というよりは、亡くなる準備に入られる様子を徐々に感じているからかもしれません。

 それよりも、私が心を痛めるのは、意思表示できない利用者の延命、経管栄養です。
経管栄養は、様々な理由で口から栄養を取れなくなった患者さんが、胃ろうやチューブを用いて栄養摂取する方法です。一般的に長期は胃ろう、短期はチューブ(経鼻経験栄養)のようですが、チューブで何年も過ごされている方もいらっしゃいます。

家族の事情は様々なので、一概にどれがいいとも悪いとも言えるものではありません。
しかし現実、意思表示のできない利用者が、定時に栄養を入れられて年中ベッドに転がされています。
栄養はどんどん入れられるので、みなさんぶくぶく太ってます。

ベッドから離れるのは入浴時のみ。
見えてるのか見えてないのかわかりませんが、見えてもそこにあるのは病室の天井。
オムツ交換の時に苦悶の表情をされることもあります。

頻繁に面会に来られて大事にされているご家族もいますが、ほとんどが会いに来ず、
ひどいところはたまに来て、孫が大学卒業まで生きていてほしい、なんて堂々と漏らす家族もいます。
年金を搾取するためです。

ここに保険を使うべきなのかと、ものすごく考えますね。

普通に食べていた方が、徐々に食べれなくなり、老衰によって自然に亡くなられるのを
胃ろう組は何人も見送ってます。
でも自分自身は栄養を直接入れられるので死ねません。
動くことも話すこともできないのに。

自分に置き換えると辛すぎます。
残酷だなあと思ってしまいます。

それでも家族は生きていてほしいと望むのでしょうか。
大切な家族が苦しんだとしても、命を繋ぎ止めておいてほしいと思うのでしょうか。

母は末期癌でしたが、抗がん剤治療は1日でやめました。

最初、私たち周りの家族は1日でも長く生きてほしいからと、
治療を望まない母を説得して抗がん剤治療をしてもらいました。
しかし、1日目で大変苦しんでる母の姿を見て誰のための治療なのかと、
誰の人生なのかと思い直し、すぐに中断することになりました。

苦しんで多少の延命をするより、楽しく最期まで過ごしてほしい。

結局亡くなる1週間前まで自分の好きなものを食べて飲んで、自宅で看取りました。

意思表示ができずに延命されている利用者を見て、
この方達が話せたら、どうしたいと言うかな、といろいろ思うことがあります。
自分自身、意思表示できるうちに周りに伝えておくのも手ですね。

感情的な側面で書きましたが、使われているのは税金です。
垂れ流し状態です。
介護医療保険制度の見直し、こういうところにもメスを入れてほしいです。

末尾ですが念の為、、、
意思表示のできない、回復の見込みもない高齢者医療に関しての経管栄養についての話です。意思表示のできる方はもちろん、若年層については生きるために積極的に利用すべき医療だと思います。

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